SuperPippoのゴール月めくり
Forza Milan8月号から、インザーギの記事をご紹介。
ちょっとユニークな形のインタビュー。


SUPERPIPPOが皆のために書いてくれた「ゴール月暦
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編集は:Carlo Respetto

AGOSTO 8月
Champions League, 予備戦  Milan-Stella Rossa 1-0

僕にとっては本当にスペシャルな一日。あれは2006年8月9日:僕は33歳の誕生日を迎えた、まさにこんなふうにその日を祝いたかったんだ。予備戦を通過してチャンピョンズの道を進み続けることに繋がったゴール、僕たちは戦う必要が無かったはずの予備戦で。空気の中に感じたんだ、観衆が僕の雄叫びを欲していると。Curvaに掲げられた僕の誕生日へのStriscione、今でも覚えている。あれは鳥肌ものだった。試合が終わったあと、すごくお祝いしたい気分だった、でも同時に第2戦も心配だった。こういう予備戦では、すぐ傍に危険が潜んでいる、何故なら、フィジカルコンディションがより出来上がってるチームと対戦するってことが多いから。幸いにして、すべてがうまくいった(ベルグラードでももう一本彼はゴールを決め、そのおかげで勝利)。


SETTEMBRE 9月
Champions League, Deportivo La Coruna-Milan 0-4

忘れられない試合、いろんな意味で。2004年9月24日。僕がRossoneroのMagliaを着て初めてのTriplettaだったから、それにその3本のゴールでAltobelliの記録を抜いたから、そしてチャンピョンズで最もゴール数の多いイタリア人選手になったから。Dr.ガッリアーニの祝福の言葉や、ホテルでチームメイトたちがFestaしてくれたことを今も覚えている。あれはグランデな友情のしるしだった。この機会を借りて改めてみんなにあのマジカルな夜の礼を言いたい、特にルイ・コスタに。僕が歴史に残る結果を出せたゴールは3つとも、彼のアシストだったんだ。
9月はもうひとつ思い出すTriplettaがある。ナショナルチームで決めたもの:ウェールズ戦で、まさにSan Siroで(2003年9月3日)、EURO2004 へ向けての重要な一歩だった。このような試合には、それを語る言葉はほとんど見つからない。


OTTOBRE 10月
Champions League, 8゜giornata, Inter-Milan 2-4

ここでも、どっちを選んだらいいのか悩んでしまう。まず僕のDerby最初のゴール(2001年10月21日)の甘美な思い出。これは他の試合とは絶対に違うものだ。Tifosiにとってはとても大切な試合、僕たちにとっても同じように。しかもそれが勝利に繋がったとなるとその喜びは抑えることが決してできない。まさにこの試合のようにね。
でももうひとつ、僕に更に大きな満足を与えてくれた試合:パレルモ戦(2005年10月23日)は、僕が13ヶ月のストップのあとの復活を意味していた。もっと酷い状態が恐れられていた僕の足首の故障から復帰してのスタメン。ゴールを、それもCurva Sudの前で決めることができた。彼らは僕が震えるほどの強い応援を見せてくれていたんだ。これは特別の意味がある。


NOVEMBRE 11月
Campionato, 12゜giornata, Parma-Milan 0-1

2001年11月25日のあのパルマでのゴール、これがすべてを解き放った。今でもくっきりと目に浮かぶ:あの苦しみ続けたシーズンの中で、僕がアンチェロッティをベンチに初めて勝利を決めたゴール。覚えているけど、あの頃カンピオナートではネガティヴな結果を出し続けていて、Tradini(パルマのスタジアム)でミランは10人になっていた(Umit退場)、そんな状態だったけど僕たちは3ポイントを家に持ち帰ることができた。とても重要な結果、そしてこれがその後の連勝のベースになった。この試合から、僕たちは持ち返し、最終的には4位へ上がった。つまりチャンピョンズリーグ予備戦へ出場が可能になり、それがマンチェスターの大偉業に繋がった。


DICEMBRE 12月
Champions League, Borussia Dortmund-Milan 0-1

2002年12月11日、僕たちはBorussiaでチャンピョンズの勝利をした。この試合は、ゴールはともかく、刺すように寒くてピッチはまるでアイスホッケーをやったほうが合うような状態だった。Dortmundに勝利するのは決して容易なことじゃない、何故なら、いつ行っても城壁のように陣取ったTifosiが彼らのチームを延々と盛り上げ続けているから。セードルフのパスからのゴール(しかもこの日はベルルスコーニが観戦、その横にはドイツ元首相Schroederも)、このおかげで僕たちはグループリーグのトップに躍り出た。この年のチャンピョンズでは、他にもLa Corunaやミュンヘンなどの厳しいスタジアムで勝つことができた。Dortmundの勝利が、僕たち自身の力を確信させてくれたからだ。


GENNAIO 1月
Trofeo Luigi Berlusconi, Milan-Juventus 3-2

今年の1月6日、僕たちはTrofeo Berlusconiに勝利。この試合はあちこちで語られるから僕には嬉しい、何故なら、会長が特別な想いを持っているこの試合でゴールすることができた。この戦いで決めるのは初めてではない、でもこの前はBianconeroを着ていたんだ。僕にとっては、一からの再スタートのようなものだった。スポーツ裁判や盗聴問題で特に厳しかったシーズンの。その頃、僕たちはシーズン終盤の重要な試合に向けて改めて準備をしていた:そして結果に見られるように、あの2007年初めのユーヴェへのゴールが、僕に幸運をもたらしたと言える。


FEBBRAIO 2月
Campionato, 22giornata, Torino-Milan 0-3

2003年2月22日、特殊なゴール。試合開始後1時間ほどで事故が起こり、中止になってしまったから。覚えているのは、前半開始数分後にマルディーニのアシストでゴールを決め、そのあとセードルフのDoppiettaが続いて、で、そこで終わり:ピッチにはいろんなものが雨のように降ってきて、主審はこの対戦を中止するしかなかった。スポーツジャッジがその後、この試合を判定し、僕のゴールやクラーレンスの2点が無効にされたんだ。でも後になって、幸いにして彼らは判定を変更した。そのおかげで僕のゴール数は1つ増えた。正しい結果だ:僕たちはあの試合をした、中止になったのは、僕たちのせいではない。


MARZO 3月
Campionato, 29giornata, Milan-Parma 3-1

2002年3月22日:またしてもパルマ。またしても、そのシーズンを決定する重要な試合。第一戦のほうを、アンチェロッティ(のミランでの)最初の勝利として記憶しているとしたら、こちらのほうは、僕の重い故障からの復帰最初のゴール。Milan-ChievoでLupatelliと交錯して膝を痛めた故障の後の。この日のDoppiettaは、僕にとっては大きな解放だった:僕がチームに手を貸すために必死で復帰を早めて戻ったあとのDoppietta。それがミランの4位に繋がった。それにあの試合は厳しいスタートだった、ディ・ヴァイオがゴールを決めて敵の先制のままでハーフタイム、試合を揺らす必要があった。試合終了後の歓喜をまだ覚えている、Tifosiの拍手も。


APRILE 4月
Champions League, Quarti di finale, Bayern Monaco-Milan 0-2

いまだにはっきりと覚えている、今年の4月11日のこの試合:セードルフが踵で僕にアシストし、目の前がフリーになって僕はゴールの枠の中に決めたんだ。San Siroの苦しい引き分けで迎えた第2戦だった、Alianz Arenaで勝利するのは決して容易なことではない、でも僕たちはそれに成功した:アテネの大勝利はまさにこの試合から始まっている、ミュンヘンでの戦いはパーフェクトなもので、これで僕たちは、アテネ優勝の可能性を確信し、そのとおりになった。
ヨーロッパの戦いでは、僕には甘い記憶がまだある:Ajax戦で勝利してセミファイナルに進んだ2003年のあれ。あの・・・僕のじゃないゴール、今でも思い出すと震えがくる。試合終了間際のアクションだった、あれが決まらなければ、僕たちは敗退だったんだ。アンブロジーニのヘッドでボールが僕のところへ飛んできて、ループでGKを越えてゴール、網に入る直前にトマッソンがタッチ:記録では彼のゴールとなってるけど、あの動きはすべての者の目に明らかだ。


MAGGIO 5月
Champions League, Finale, Milan-Liverpool 2-1

これもついこの間のことだ:あの5月23日に起こったことに、どんな言葉を加えたらいいんだ? 僕のキャリアで最も素晴らしい試合、アテネの思い出は僕の中に一生残っているだろう。チャンピョンズリーグのファイナルで2ゴール、最高の夢だ。このような興奮を表すに、ぴったりな言葉は存在しないと思う。
この1段下には、2003年のCoppa Italia決勝、マンチェスターの4日後に行われたローマ戦で決めたゴールを加えたい:覚えている、San Siroが超満員でTifosiはFesta状態、90分目に決まった2-2が、ミランにこのシーズン2つ目のトロフィーをプレゼント。26年間待たれていたそのタイトル。


GIUGNO 6月
Coppa del Mondo, Italia-Repubblica Ceca, 2-0

ナショナルチームも、僕に大きな喜びをくれた。ドイツ2006、僕が出場するはずではなかった大会。何故なら僕は予選を全く戦っていなかった、ミステルは他に考えがあることを知っていたから。僕を召集してもらえるように説得できるプレイができたことを嬉しく思う、ミランのMagliaを着てのグランデな試合の数々で。そして、僕に与えられたチャンスを活かすことができたことを喜んでいる:あの6月22日のチェコ戦でのゴールは僕に大きな満足をもたらしてくれた。あれでグループリーグの通過が決定したんだ。
でも僕自身ワールドカップには、23人のメンバーに召集されたという時点で優勝している:あの重く長い故障の後には、僕が召集されるなんてとても信じられなかっただろうから。


LUGLIO 7月
Milanello 練習開始

この月は、公式戦はほとんど無い。でも毎年このときに待っているTifosiの熱い声援は、歴史に残るゴールを決めたときの気持ちに値するほど強い。
いい時も、悪い時でも僕を支え続けてくれた彼らに対して、いくら礼を言っても足りないだろう。特に大きな応援は、僕が酷い状態のときに受けた。厳しいときにミランのTifosiは僕の傍にい続けてくれた、そういうことは決して忘れないものだ。彼らへ、そしてクラブへ。僕のコンディションが悪いときに契約を更新し、僕が重要な選手だと感じさせてくれた。心から感謝している。

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by celeste13zefiro | 2007-08-21 18:25 | MILAN
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