ミラン・オフィシャルから
今シーズンもスタートしたMilan ChannelのSegni Particolari。まず最初の登場はカラーゼ。 Q: カハ、君のポジションはセンターバック・・・ Kaladze: 僕の好きなポジションだ。小さい頃からセンターバックをやってきた。他に、Terzino(サイドバック)のようないろいろのポジションを試したけれど、センターはいつも僕の気に入った場所だった。そしてナショナルチームでも、常に僕のものだった。 Q: ミランと共に勝ち取ったチャンピョンズの2つのカップは、最初はサイドバックとして、二度目はセンターでの君を人々は見てきたわけだけど、どちらのほうが君には愛着を感じる? K: どちらのカップも僕にとっては大きな喜びを与えてくれた。でも、初めて獲得したときの満足はより大きいものだ、何故ならいまだかつて経験したことのない気持ちを味わうんだから。 Q: パオロ・マルディーニは決して諦めない。彼の手本は君にとって役に立つ? K: パオロは非常に偉大なカンピオーネだ、彼のような選手はそういるものではない。僕のキャリアについていうと、39歳までプレイするとは思えないけど、何が起こるかわからない。今僕はまだ若い、今年僕は30歳になる。あと6~7年はプレイを続けるだろうな。 Q: モンテカルロでのSiviglia戦の前、君はどのように過ごしたかい? K: Sivigliaで起こってしまった出来事が原因で、不思議な気持ちを感じていた。僕たちは皆Antonio Puertaの亡くなったことをとても悲しんでいた。しかしカルチョはひとつのスポーツ、彼らが試合を行うことを選んだことで僕たちもそれに応じることを余儀なくされた。ピッチに立ったとき、僕たちは敵を傷つけないことを考えていた、彼らを労わりたいと。そして試合後半、ミランはまさにそのグランデな力を示し、僕たち全員がグランデ・ミランであることを見せた。 Q: 君のTifosiは、君の腕のTatooの意味を訊いている。 K: 右腕に日本語で書いてあるのは「永遠に友達」、トラは僕が若かった頃に入れたもの:17歳でDinamo Kievにいた時。 Q: トッティとネスタがナショナルチームとの別離を選んだこと、君はどう思う?君も、ある一時期はグルジアのMagliaを身にしていなかったね。 K: ナショナルチームでプレイできなかったことはとても残念だった、でも僕の状況はトッティやネスタとは違う、家庭の事情だった。彼らは彼らの選択をした、それは尊重されなければならない。 Q: ネスタといえば、彼は多くの試合をすべて出場していくことはもうできないと告白した。君がもし昨日グルジアのMagliaで親善試合をしたとして、土曜日のアウェーSiena戦にコンディションを取り戻すのは君には難しいだろうか? K: 難しい。試合の数は多い、特にこれからチャンピョンズリーグが始まるんだから。それにCoppa Italiaやナショナルチームの試合を加えていくと、本当にすごい数になり、もしTitolare(スタメン選手)なら、そのすべてに出場しなければならなくなる。 ネスタはとにかく世界最強の選手の一人だ。足でも頭でも上手く、完成されている。そしてインターセプトが素晴らしい。良いセンターバックとして必要なすべての素質を具えている。ピッチで僕は彼ととてもうまく息が合うんだ。 昨日キエフの試合でのピルロとアンブロジーニを観た。彼らがピッチで最も優秀だった。ちょっとイタリアを応援していたんだ、彼らがいるからね。でもシェヴァのことももちろんちょっとね。 Q: シェヴァが(ミランに)残るように何かできたらよいと思った? K: 彼のようなカンピオーネを失うことは、彼がどれだけミランに貢献したかということからも、とても残念なものだ。それは全員にとって。彼はしかし彼自身の選択をした。で、人生は前へ進み続ける、後ろへ戻るのは容易なことではない。 Q: アテネでの勝利のあと、君たちはピッチの上で、ホテルで、そしてSan Siroでそれを祝った。最も君の気持ちに残ったのは? K: 主審の(試合終了の)笛を聞いた時。あれが一番の解放感だったから。終了5分前まで2-0で勝っていたのが、リヴァプールが1点決め、早く試合が終わってほしくてたまらなかったよ。 Q: チャンピョンズリーグ2006-2007優勝は、君たちがそのシーズン受けたことへの損害賠償だったと思う? K: 大勢の故障者を抱えて、必要なシーズン準備が行えなくて妙な1年間だった。はじめ、カンピオナートで勝てなくて、シーズン後半になってからカンピオナートでもチャンピョンズリーグでもいい試合ができるようになっていった。対マンチェスターで僕たちは3-0で勝利、全くミスの無いものだった。彼らは強いチームだ、でも僕たちはグランデな力を持っている、すべての者にミランは常にそこにいる(主役だ)ということを示した。 Q: ブリュッセルでのAnderlecht戦、君は素晴らしいプレイを披露した。 K: 厳しい試合だった、決定的な戦い。でもチーム全員がいいプレイをし、カカ’の美しいゴールで勝利した。 Q: 重い故障の数々から復活してくるには、君の頑強なフィジカルがあるからこそ・・・ K: Cesenaと戦ったとき腱を壊すという酷い故障をした、あれで僕は、手術を行わず5ヶ月のストップを必要とした。それからヴァカンス中にコンディションを保つためCalcettoをしていて腱を痛めた。その故障のために僕は長い間試合から離れることになり、それが起こったのがヴァカンスだったことで僕はクラブへそれを伝えるのが恥ずかしかった。ミランはチャンピョンズ予備戦を戦わなければならなかったというのに。 Q: キエフにいた時期のことは君に何を教えてくれた? K: もしDinamo Kievでプレイしていなければ僕はミランへ来ることができなかっただろう。監督のLobanovskyと高いレベルでプレイし始めていた、チャンピョンズで3年間プレイし、これは僕が世に注目を浴びるきっかけになった。ミランからも。キエフで僕は本当に多くのことを学んだ、人間として、カルチャトーレとして。 Q: Dinamo Kievについてどう思う? K: 常に偉大なチームだった。強力な選手が大勢。少しずつ彼らが旅立っていってしまった。シェヴァも。今あのチームはとても若い、でも1999年に彼らはチャンピョンズリーグの準決勝にたどり着いている。 Q: グルジアとウクライナの関係はどういうもの? K: とてもいい関係だ。 Q: モスクワは常に君の人生回帰の街。2008年5月にはまたチャンピョンズリーグ2007-2008の決勝がそこで開催される。ミランは8月に親善試合を行い、君はとてもいいプレイを見せた。 K: そう、モスクワで僕はいいプレイができた、それはこの夏フィジカルコンディションを整えるためにトレーニングしたからでもある。ヴァカンスでは調子が簡単に落ちてしまうものだ。自分で練習していたんだ、そうすればシーズン前の準備に取り掛かるとき楽でもある。 Zefiro Home ポジションがディフェンソーレだし、ネスタのことに触れてることもあって訳したけれど・・・しかし、このインタビュアーの質問ったら。これ以上答えようが無いようなことばっかし訊いても全然面白味が無いというか、話題の広がりが狭いというか、つまらん。もったいない。 カラーゼは「おっ」ていうセリフが出てくるいい(笑)キャラクターなのに、それを引き出さないミラン、相変わらず。 ところで、Milan Channelは今シーズンからアンチェロッティの娘Katiaが就職しました(笑)。マイクを持って選手たちと語る彼女がこれから時々見られるのですかね
by celeste13zefiro
| 2007-09-15 02:53
| MILAN
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