Semafori e Incroci
SUPERPIPPO本からピックアップ。
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Semafori e Incroci
「信号・交差点」(赤信号=故障などで止まったり、青信号で走ったり、スピードが高かったり、低速だったりのキャリアを意味する)というタイトルで、彼のキャリアの中に何かの印を残した人たちを少し取り上げている。

SIMONE INZAGHI
弟。一度、ピッポにはとんでもないことが起きた。シモーネがゴール前でシュートを外したので彼は激怒してしまったのである。しかしその試合、彼は観衆だったのではない、まさに対戦相手チームにいたのだ。正確には、Piacenza-Juventus、シモーネがホームで、ピッポは白黒でアウェイ。ユヴェントゥスが彼のゴールのおかげで先制、その直後にシモーネは同点となるべきゴールをミスする。ピッポは怒りまくる。が、ちょっと落ち着いて考え直す。もしシモーネが決めてピッポが歓喜のポーズでも取ろうものなら、試合は大変な騒ぎになるから。
ただものでない、本物の兄弟愛。兄弟というのは美しい、しかし常にそうとは限らない。日々築き上げられていくもの。彼らはお互いを大切に思い、尊敬し合う。かつては、その二人揃った美しさと幸運にPaparazziが追いまわしGossip誌のトップを飾っていた。一人はSamantha De Grenetと、もう一人はAlessia Marcuzziと。彼らは、他の多くのカルチャトーレたちのように楽しんでいた。しかしピッポは、シーズン中には決して道楽生活をする男ではない。Rossonero(ミラン)のキャリアをスタートしたとき、彼はまずMilanello、合宿所で生活をしていた。その後はCastellanza(ミラネッロ近く)の緑に囲まれた静かな住まいを選んでいる。Gli Inzaghi(インザーギ兄弟)にとって、カルチョがすべて、カルチョだけ。まず最初にプロフェッショナルが、残りはすべて後の話。
彼のキャリアにとって最も美しい時は二人揃ってナショナルチームへ召集された日。記者たちが兄弟の初インタビューをと探し回っていたとき、アタランタのボンバーであったピッポは常にこう答えていた。「あの、ブラボーのほうを、“正しいインザーギ”を見てくれ、それが僕の弟だ。」ちなみに、ピッポのLa Corunaで3ゴールに止まった記録を唯一超えることのできたのがシモーネ。実に、チャンピョンズリーグ1999-2000Lazio-Marsiglia5-1で4ゴールを決めている。


PAMELA
フィリッポ・インザーギの最初の恋人。彼は決して忘れていない。数々のインタビューでも明らかにしているが、彼はそのパーソナリティと親しみやすさで女性達から好まれていることをよく理解している。名声や成功はしかし愛、謙虚さ、優しさという本質的なものを越えるわけではない。いつの日か、ピッポは理想的な女性を見つけ出すだろう。決してそれを悲観したことは無い。そして彼の家庭を築くのである。彼自身が、両親から授かった教育を元に。


TORO & BICIO
典型の追っかけTifosi。彼らは元来ミラニスタであった、が彼らにとって心のPassione(情熱)、真の友は常にフィリッポ・インザーギ。そのために、彼らは毎週日曜になるとトリノまで出向き応援していた。インザーギがユヴェントゥスで戦っていた頃の話。そしてピッポがミランへ移籍したとき、彼らに平和が訪れた・・・。


EROS RAMAZZOTTI
(訳者注:イタリアが誇る世界的ポップス歌手。ユヴェンティーノ)
彼とピッポは友達だった。ピッポはずっと彼の歌が好き。Paola e Chiara(訳者注:姉妹のポップス歌手)の歌も、ピッポの気分をいつも明るくするものだった。


LAURA PAUSINI
(訳者注:イタリアが誇る世界的ポップス歌手。米国グラミー賞ラテン部門も受賞。こてこてミラニスタ)
ピッポの古い友達。彼女の曲は、この酷いオンチなカンピオーネが唯一、人前でも自信を持って歌ってしまうもの。彼女は初めて英語ヴァージョンのCD「Surrender」を発売したとき、それをすぐにインザーギへ捧げている。これは彼のように迸るエネルギーのコンピレーションだと。


ALESSANDRO COSTACURTA
ミランへ彼が馴染んでいくのに本質的な存在だった人物。Billyは伝統的に、Paolo Maldiniと共にRossoneroのロッカールームの“父親”(Padre)だった。Padrino(ゴッドファーザー)ではない、Padre。しっかり読むべし。かつて家庭には、子供たちに良かれと躾に厳しい父たちがいたもの。インザーギがRossoneroのロッカールームに根を下ろしたのは、コスタクルタが彼に対して常に非常に高い評価を持っていたから。コスタクルタは彼のことを、飽くなきエネルギーと勝利への貪欲さにおけるForiclasseだと見なしていた。ジョークを飛ばし、空気を明るくし、どこのチームのロッカールームにも5~6人は必要な、士気を高めるタイプの選手。そういう意味で、コスタクルタにとってインザーギはナンバーワンなのである。


GIANCARLO INZAGHI
「小さい頃からピッポはCalcioとGolにのめり込んでいた。私はSan Nicolo'の役員だったが、彼を試合出場させるには年齢が小さすぎるので、身分証明を偽称して1年繰り上げ、デビューさせたことをよく覚えている。15歳にはPrimaveraにデビュー、そこで決定的なゴールを決めている。私の息子はまたCalcioだけに生きていたわけではない。経理専門学校をよい成績で卒業してもいる。もちろん、彼を税務課で働かせることはできないだろうが。・・・思い出すのは、ある先生が彼の躾の良さに驚いたという話。職員室へ行ったピッポは彼女へ言ったそうだ。『Prof(イタリアでは先生をそう呼ぶ)、練習しなければならなかったので、ほとんど勉強できませんでした。手を貸してください。』 結局、先生は彼のその正直さに対して評価を0,5点アップしてやったのだ。ピッポは常に穏やかな少年だった。私は父親だ、見方は偏ってしまう。しかし、彼はあまりに良い青年なので、全く欠点が見つからないのだ。これは多くの問題を抱える今日のCalcioへのコマーシャルにもなるだろう。
そう、今もうひとつ夢があるとしたら、ピッポがよいお嬢さんを見つけ結婚して、もうひとり孫をプレゼントしてくれることだ。彼の夢でもあるそれ。」
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この項には、すでに最初にUpしたCorriere dello Sport記者Furio Fedeleと、他にCristian Zenoni(インザーギの移籍に関わった選手)、Gerd Muller(インザーギが越えた、前欧州ゴールキング)も含まれる。


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この間のPasqua(復活祭)のヴァカンスも、カルチャトーレで唯一、カップルじゃなくて兄弟でGossip誌に載った人たち
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by celeste13zefiro | 2008-04-07 05:21 | MILAN
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