INZAGHISAN
INZAGHISAN

あのSUPERPIPPO本には、こんな見出しの項がある。


そう、2007年クラブ世界カップ滞在記なのだ。

なにげに長文なので、訳すのにはちょっと躊躇してるんだけど、とりあえずこれだけはUpしてみよう。

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INZAGHISAN(インザーギさん)

彼は日本でいつも愛されてきた。Tokyo-Narita国際空港に降り立つたび、その黒山の人だかり、嬌声はすべて彼のため(訳者注:他のファンもいっぱいいたとは思うが・笑)。限りなく求められるサイン、彼のナンバーのMaglia、携帯を手に撮影・・・日韓ワールドカップ2002を通し、2003年のIntercontinentale対Boca Juniors戦で極東の地にも築き上げられた名声。そう、Intercontinentale、ユヴェントゥスが勝利したそれにより、かの地では今やデル・ピエロとその仲間達は神格化されている。インザーギがBianconeroへ移籍する数ヶ月前の話。Intercontinentaleは、常に誇り高き存在であったのだ。

最後にインザーギが勝ち取ったもの、とはいえ、ピッポのキャリアとミランの生命にとって「これが最後とはいえない」のは古典的な話であるが、その勝利は2007年12月のことであった。
ピッポの3度目のグランデなGiappone滞在を、日を追って日記のように記してみよう。


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2007年12月5日(水)
午前0時が過ぎたばかり、Giappone(日本)に向けてマルペンサ空港から出発するまであと20時間ほど。インザーギはSan Siroから出ようとしている。達成した記録(63ゴールでGerd Mullerを越える欧州キングに)、その幸福感に浸ると共にしかし、大腿が痛むと言っている。もしかしたら肉離れを起こしたかもしれないと。傍らの友人が歓喜する。何故なら、このカンピオーネがぶーぶー言うとき、感動的な試合の夜に半分なんだか故障のような表情で笑うとき、これはもうすぐ素晴らしいプレイが見られるというしるし。これが彼のキャラクター、これが彼のストーリー。

2007年12月6日(木)
ピッポはすでにプレッシング状態。約12時間の飛行の後、Japan Airlinesのジャンボを降りる。彼の足跡は明らか、座席には空になったPlasmonの箱が残されているから。ほら、早速彼がTokyoでぶーぶーを一発。ミランはマルペンサを5日の21:30に出発、そして現地時間の17:12に到着(イタリア時間は朝09:12である)。発つときは夜、着いたときも外は暗い、何故ならTokyoの冬は早く日が暮れるから。「なんだよ、ここじゃ全然日の光を見られないのかー?」 これが、ボンバーの到着第一声である。

2007年12月7日(金)
街の商業ゾーン、Minato mirai区にあるYokohama Marinosスポーツセンターでのトレーニングはボールを使って(前日、日本到着直後の練習はダッシュやランニングのみ)。グラウンドに設置されてある小さなTribuna(観客席)はTifosiでぎっしり埋まっていた。11対11のミニ練習試合、滑るようにKalacの左から決まるゴール1発目は、まさにインザーギのもの。そしていつものように、彼のために大きな拍手がYokohamaにいるRossoneroの若いTifosiから沸く。

2007年12月8日(土)
ピッポは練習している。いつも午後3時に(イタリア時間朝7時である。ご存知のようにこの時差のため、日本では毎日「夜中に」生活している)、右の膝のあたりには絆創膏。たいしたことではない。最後の練習試合では、仲間達にボールを送れと叫び続けていた、自分はここにいるんだからと。前日とは反対のゴール前、Valerio Fioriが彼のシュートにグランデなブロックを見せる。そのあと、いつものピッポのゴール、いつもの観衆の歓声。土曜日の今日は特に盛り上がる、Yokohama Marinosスポーツセンター。



時間とかいろんな余裕の具合で、つづく・・・つもり。



それと、これも読みたいしね~。
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発売はまだだけどね。
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by celeste13zefiro | 2008-04-09 06:30 | MILAN
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