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そのつづき・・・


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2007年12月16日(日)
2ゴール。ファイナルで。インザーギのもの。そのどこがニュースなんだ? そう、だからこれがニュースにはならないのだ。翌日イタリアの新聞各紙にはただただ賞賛のみ。
La Gazzetta dello Sportは彼に立派な8を与える:《ほらここに、彼に唯一欠けていた偉業;東洋の国でのゴール。ミランにとって最後のCoppaが入っているプレゼントの箱を彼が開き、閉じる。そうでなければならない、何故なら彼こそが、この長い道のりを2006年8月9日、San Siroにてチャンピョンズリーグ予備戦の対Stella Rossa戦に自身のゴールでスタートさせたから。》 
ゴール2本とも、決めたあと彼は監督のもとへ走り、Abbraccio(ハグ)している。強く、激しく。Coppa dei Campioni、Supercoppa Europea、そしてIntercontinentaleとそれぞれにゴールを決めたのはこれまでに1972年のCruyff、1990年のFrank Rijkaardだけ。そして彼らにインザーギが加わる。すべての国際大会でゴールを決めるという華々しい記録と共に、この(ミランの)道のりを閉じる。クラブとともにすべての欧州大会、クラブ世界カップで、ナショナルチームとともにワールドカップ、欧州選手権で、そのカップに彼自身の名を刻んできた。
試合終了直後のピッポの顔は疲れが滲み出ていた。この日本での12日間に苦しみながら立ち向かってきたというしるしだ。しかしその疲労の裏には、深い喜びがうかがわれる。胸の奥にある、言葉では表現し難い満足感、それはおそらく彼ほどにコミュニケーションのうまい男であっても。たとえトーンは違っていても:アテネでの彼を「あまりの喜びに狂ってしまった子供のよう」と表した者がいた。ここYokohamaで、あれから7ヵ月後の彼は、成功をより静かに味わっている男だった。
夜中の2時、ホテルには日本の一番早い朝刊が届く:タイトルはこう。《インザーギ、世界の頂点に》  
Corriere dello Sportも、彼への評価で8を:《歴史に残るSuperpippoのDoppietta:もはや彼を褒め称える形容詞は残っていない。ガッリアーニは彼を『不滅』と評した。》  
Inzaghi、あらゆる場所(大会)に姿を現し、2度世界チャンピョンに(ひとつはイタリアと、もうひとつはミランと共に)、2度欧州チャンピョン。2007年にはまた、イタリアを欧州選手権本大会に導く3ゴールも決めている。
多くのゴール、多くのトロフィー、あのカカ’が獲得したのと同じように。にもかかわらず、インザーギは個人賞を得ることが出来ないでいる。Yokohamaで、Boca Junior戦4-2の直後でさえ、今大会のクラブ世界カップで最も優秀な選手の一人として表彰台に上れなかった:「でもそれは、僕にとって問題ではない、何故なら僕の決めてきたゴールはすべてチームの成功をもたらしてきたから。僕にはこれでいいんだ。Gerd Mullerの記録を抜くことは特に狙っていた。それは個人的にもイタリア人としても誇りのために。」
Corriere dello Sportは更に、彼の胸を埋め尽くす彼のプロフェッショナルとして決めてきたすべてのゴールを表にした。そのキャリアでトータルは278。以下がその詳細:
Champions League 46
Coppa UEFA 7
Coppa delle Coppe 2
Intertoto 7
Intercontinentale 2
Supercoppa Europea 1
Supercoppa Italiana 2
Serie A 127
Serie B 28
Serie C1 13
Coppa Italia 15
Nazionale A 25
Under21 3
TuttoSportも度を越えた賞賛を:《Inzaghi:9、3つの決勝で5ゴール(Atene, Montecarlo, Yokohama)、すべての国際大会で少なくとも1ゴール。彼の記録は他の誰にも作られていない。ボンバーの真髄。》 
まったく、いったいどこにこんな前例があるというのだ?コンペティションごとに記録を。インザーギはどこへ行ってもそこに、征服を意味する彼自身の勝利の旗を立ててきた:今や本当に彼は唯一、すべての国際大会でゴールを決めた選手:もはや夢ではない。今日ここにいる少年は、永久に少年を満足させたのだ(訳者注:インザーギという少年のような男が、永遠の記録を達成したという意と思われ)。一人のボンバーの昇華。念のために、彼は誰からもそれをプレゼントされたのではない。おそらく、運命が彼を讃えたと言ったほうがより相応しいだろう。その類稀なる頑固さ、パッション、プロ精神、弛まぬ努力のスピリッツが讃えられたのだ。
2年前、インザーギは「ex」(元選手)のようなものだった。中には、今のロナウドに対するものより酷い評価を下した者もいた。延々と続く故障の数々:足首、膝、腱、更に足の水ぶくれや扁桃炎まで(訳者注:確か手の怪我もあったはず・・・)。北海の砂浜で、一人で2ヶ月つらいランニングの毎日を過ごしていた。信じていたのは彼だけ。
こうして、運命は彼を讃える、しかしカルチョの体制は彼を無視し続ける。彼を非常に大切にしているピアチェンツァだけがそうではない:エミリア地方の知事であるGianluigi Boiardiはピッポに祝辞を贈った。Superpippoが結果として彼らにプレゼントしてくれるその栄誉に対して。
クラブ世界カップのシルバーボール(優秀選手賞)はクラーレンス・セードルフへ。オランダ人が素晴らしい試合の数々を見せたことは疑いが無い。しかしインザーギが彼より相応しくなかったわけではない。アテネでも同様な出来事があったがそれでも、かの地での英雄は彼だったのだ。この日本滞在中、インザーギはミランで最も声援の多かった選手の一人であった。それどころか台湾からもTifosiが、彼の名前の旗にサインをもらおうとやってきている。
各紙の評価もまだ続く。Corriere della Sera:《8 アテネのDoppietta、Montecarloのゴールに続き、またしても、後世に伝えるべき2つのゴール。ピッポのTerza eta'(熟年期)は、実際のところ彼の2度目の新しい人生なのだ。》 
いやはや、インザーギの2つのAcuto(訳者注:オペラでテノールが高い音を決めたりする高難度かつ名場面のこと。ゴールに喩えられることがよくある)が決まる時、ここ日本、Yokohamaはいのしし年、一年の決算の時期:2007年は、インザーギ・イヤーだったと言える。
La Repubblicaは世界一獲得のこの日にその評価のボルテージも上がる:《Mamma mia che demonio(なんという悪魔だ!) エリア内で触れた綺麗なボール2つ、それをゴール。それが2007年の3度のファイナルにて5ゴールとなる。これ以上何を望めばいいというのだ?彼のこのストーリーもまた、おとぎ話となっていくのだ。ミランではこれがすでに流行であるように。》 
インザーギのBoca Juniors戦Doppiettaは、Intercontinentaleにおいてミランが決めた4度目のものとなる。最初は、San Siroにて、ペレのSantos相手に4-2で勝利したときにAmarildoが決め、しかしそれがCoppa獲得には至らなかった。次はAngelo Soriani、1969年の対Etudiantes3-0、ここでは無事勝利獲得。それからFrankie RijkaardがTokyoにて1990年、対Olimpia Asuncion戦3-0にて。今回クラブ世界カップ2007は、オリンピックスタジアムでニュージーランドのWaitakere対イランのSepahanという組み合わせでスタート、インザーギのミランの偉大なライバルであるチームの監督に「親善大会」などと苦しいジョークを吐き出させる。 
Il Giornaleは、このSan Nicolo'のマタドールの個人記録をこう評する:《Inzaghi:8 彼のため、彼のためだけに、Yokohamaのスタジアムはその交代時にStanding ovationを用意。3つの国際大会にてすべてゴールを決め、PKエリア内のガンマンはその輝かしいキャリアにまたしても一つの真珠を加えた:Champions Leagueファイナル、Supercoppa Europeaファイナル、そしてクラブ世界カップのファイナル。》 
しかもその3つの試合すべてに彼はOuverture(序曲)、つまり最初のゴールを決めているのである。
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by celeste13zefiro | 2008-04-18 00:00 | MILAN
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