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そのつづき・・・


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2007年12月17日(月)
ここはすでに帰国の飛行機の中。TokyoをJapan AirlinesのBoeingがヨーロッパへ、彼の国イタリアへ向け離陸してから3時間以上が経っている。ピッポはここでもまだ動くことをやめない。JL417便のビジネスクラスは2つに分かれている:操縦室のすぐ後ろはチーム(選手)、小さなカーテンに隔てられてセカンドコンパートメントにまだ選手たちの席が続く、その中にはカルロ・アンチェロッティ、ミランのオブザーバーの一団、役員の家族、そしてRossoneroのマーケティングにおける何人かの重要なアドヴァイザーも。
ほらあそこに:Campione del Mondoでただ一人、あっちやこっちを行ったり来たりしている、ファーストクラスから第2ビジネス席まで、機内をうろうろ散歩している男はそう、彼。2007年ファイナルのDoppiettista(ドッピエッタ男)、2003年のときにはそこにいなかった、けれど今年はBoca Juniorsの前に容赦なく立ちはだかった男。
ピッポは書き物をしている者の席へ顔を突っ込んでは何か質問をし始めたり、正直に言って邪魔であるが、それはこのカンピオーネの頭の中でまるで川が氾濫するように溢れているものを堰き止める唯一の方法でもある:何かを語りたいという気持ち、分かち合う喜び。
「ピッポ、日曜のデルビーのためのゴールをまだ取ってあるかい?」
「ノー」 と返す。
「まだって? Basta(いい加減にしてくれよ)、これ以上何を僕に望んでるんだ? ところでさ、ここ数年でミランが、僕のスタメンで敗戦した重要なファイナルを言ってみてくれよ。」 
元気いっぱいなピッポからの矢を射るような質問。 答えは?待て、ちょっと待ってくれ・・・えーっと、マンチェスターではミランは勝った、モンテカルロでもPortoにもSivigliaにも勝った、で、アテネ、Yokohama、ピッポはいたし、しかもCoppaも手に入れた・・・ん~、実に、イスタンブルも2003年Yokohamaも、インザーギは試合開始と同時にピッチには立たなかった・・・降参だ、Superpippo! 
落とし穴な質問の後彼は、あちらのほうへ行く。こぼれ話を抱えて。
「ファイナルの前に、僕は試合前の下痢(訳者注:直訳は『赤痢』だけど、おそらくここは緊張で腹を下したと思われ)症状になっていた。心配だったんだ、水分もエネルギーも無くなってしまうんじゃないかと怯えていた。僕はカルロ・アンチェロッティに言った:『ミステル、アテネで僕は足一本しか無かった(つまり故障明けで決してコンディションは良くなかった)けれどゴールを2本決めた、ところがここでは僕は絶好調、燃えて、キレキレで爆裂してる、なのにゴール決められなかったりするかもしれないよね?』『ノー、ピッポ。お前は、私が見ている限りの状態なら、お前が言うとおりの状態なら、絶対に決めるよ。』 そう答えたんだ。
このグループは勝利を獲得する価値がある。僕たちはボローニャから始まってるんだよ。覚えている?ミランは2002年3月、2-0で負けていた。僕らのTifosiは事実を目にしたくなくて顔をあっちへ向けていた。そのきっかり1週間後に、僕は長い故障から戻ってきた。
僕は今とても嬉しいんだ、何故なら周りを見渡して、僕と同じ年のアッタッカンテで非常に高いレベルのままプレイできてるやつを見かけないから。ラウールとファン・ニステルローイは1977年生まれ、僕は1973年・・・ボボ・ヴィエリがいる。でも、彼へのリスペクトは守りつつ言うと、彼はアタランタとフィオレンティーナの間でよくやっているけど、僕は幸せなことに世界大会のファイナルで2ゴール決めて最高の力を出すことができた。
たぶん、これは僕の家族のおかげだと思う。長寿なんだよ、僕らインザーギ家は。僕の祖父は92歳、でもうちの地元のバールでまだまだ元気いっぱい。僕のパパは60歳、でも少なくとも10歳は若く見える;ただひとつ残念なのは僕の弟がアタランタ・パレルモ戦で肩を怪我してしまったということ。
僕は時々、自分自身に驚かされてしまったりするんだ。でも結局のところは、自分がこうなんだってことを認めなくちゃ。僕はこういう人間だってことを。
試合の前、僕はびりびり震えてた、トイレに行くのさえダッシュしてた。そして試合ではすべてのボールに向かって走りまくってた。で、最後には? 勝利のFestaでCoro(歌)する力さえ無くなってた。チームメイトの何人かは数時間ほど夜のTokyoの街を楽しみに出かけてったけど、僕は自分の部屋からさえも出ることができなかったんだ(訳者注:その上、パパGiancarloが具合を悪くしてしまい、ピッポはホテルから動けなかったというのもある)。どろどろに疲労し切っていた。
とにかく、僕はこの国に戻らなければ。日本人の皆は僕に信じられないほどの感覚をプレゼントしてくれた。トレーニングで、僕がボールに触れるたびに彼らは精一杯の力を振り絞って僕がゴールするように望んでくれた。僕はここ(日本)に戻ってきたい。できたらこの夏にでも、彼らを抱きしめる(Abbraccio)ために、また訪日したい。それだけのこと、彼らにしてあげなくちゃ。
今の僕はプロフェッショナルとして278ゴールを手にしている、ミランのMagliaを身にしての国際カップで記録達成したばかり。にもかかわらず、僕はもう次の新しい目標に燃えてるんだ。
僕はずっとこうだった:パパと一緒にキノコ狩りに行ったとき、朝の4時に起きなくちゃいけなかったけど、4時15分前にはすでに目を覚ましてわくわくしながら待っていた・・・」


INZAGHISAN おわり☆
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by celeste13zefiro | 2008-04-19 08:13 | MILAN
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