「いらない」と、言われていた
現時点のリヴォルノ戦スタメン予想(by民放)はこれ

           KALAC
      NESTA    KALADZE
BONERA              FAVALLI
           PIRLO
    GATTUSO    AMBROSINI

      KAKA'     SEEDORF
          INZAGHI


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特別にニュースの無い今日は、メルカートの騒ぎについて少しこぼれ話。


といっても、これは今の話じゃない。


SUPERPIPPO本を読んでいたら、インザーギがユーヴェからミランに移籍するかどうかの頃のあたりがおもしろかったり懐かしかったりしたので、その部分だけ取り上げる。

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2001年夏、その1年前からうっすら話は出ていたものの、結局実現しなかったインザーギのユーヴェ→ミラン移籍は、その頃非常に関係のよろしかったアドリアーノ・ガッリアーニとアントニオ・ジラウドの間で密かに進められていた。ミランはシェフチェンコの傍らに強力なアッタッカンテを必要としていた。その数日後には、ミランの選手たち、特にガットゥーゾとアッビアーティ(この二人は親友でもある)の携帯へ、ひっきりなしに電話をかけてくる男・・・インザーギである。彼らはもうまるでミランの選手同士のように語り合っていた。Milan Channelではしかし、正式に決まってもいない契約に、全く触れることはできないまま。インザーギは燃えに燃えていた。スタジオのスタッフが彼に電話をしてみると、サルデニャでヴァカンス中、とはいえ、ミランの合宿がスタートするときには万全の状態で登場するために1日3時間のトレーニングを続けながら。
正式発表はまだ、しかしマスコミが予想で書きたて始める。「ミランがアタランタの若者マッシモ・ドナーティとクリスティアーノ・ゼノーニを獲得、そしてゼノーニはそのままユーヴェへまわされ、プラス莫大な金で、ユーヴェからはインザーギがミランへやってくることになる」と。
RossoneroのTifosiは反抗に動き出す。Milan Channelには続々とメールやFaxが届く。「あいつ(インザーギ)いらん」「いつもミラン相手にゴール決めてたじゃないか」「嫌なやつだ、シミュレーションばっかり」「それに我らに今必要なのはトゥラムだ、まさにあのフランス人ディフェンソーレ獲得のための金を、インザーギ買うためにユーヴェにやるのか?」「ユーヴェのトラブルを俺たちが抱えるのか」「トゥラム獲得の道を作ってやってユーヴェの問題を俺たちが解決してやるのか、恥ずかしいことだ」「その上将来有望な若者ゼノーニを手放すのか」:お前たちはユーヴェの手下かよ??と。
スタッフの電話に答えるサルデニャのインザーギの声は元気に溢れ、早くスタートしたくてたまらない様子。「僕に電話してくれてありがとう。」会話の最後に彼は言う。「Tifosiは?なんと言ってる?」「Niente, Pippo.Tutto bene, tutti contenti(大丈夫だよ、ピッポ。すべてOKだ。皆が喜んでいる。」
(筆者Suma氏は言う)時には、特にこのカルチョの世界では、少々の嘘は必要である。この、新しいチームへ来るためにヴァカンスを犠牲にしてまで必死にトレーニングしてる彼に対して何を言えるというのだ?「皆が君をいらないと言っている。私たちがクラブの選択を支持しているからと、Tifosiは怒りに爆発してる」なんて、言えるはずがないではないか。そんなことしたとして、彼がつらくなり、トレーニングの勢いが陰り、またはミラネッロへ来る前に無駄に身構えてしまうことになるだけだ。

(中略)

・・・そして、(2001年)6月最後の月曜、月曜日に、正式発表が。ミランはクリスティアーノ・ゼノーニをレンタルでユーヴェへ放出、そして、フィリッポ・インザーギを獲得・・・

その日から、Rossoneroのメルカートの歴史に重要な一こまはまだ続く。インザーギは、先に書いたような理由でTifosiに望まれていない。7月1日の土曜日、ミランはアンドレア・ピルロを獲得。ここでもTifosiは激高する。「俺たちを馬鹿にしてるのか。俺たちはルイ・コスタが欲しいんだ、それなのに、来るのはBidoneかよ・・・信じられない話だ!」(訳者注:Bidone=直訳はゴミ箱、これは全く評判の逆で役に立たなかったカルチャトーレを形容するのに非常によく使われる表現。毎年開催されている『Bidone d'oro、金のゴミ箱賞』も皆さんご存知のはず)
また、シェフチェンコ自身も、ピッポの移籍による自分の立場に少々不安を抱き、クラブへ「二人のアッタッカンテは同等に扱われるべし」と牽制の態度を示す。
これらの騒動に加わったのが最後の爆発であるこれ、7月3日から4日にかけての夜中にマヌエル・ルイ・コスタの獲得が発表される。
インザーギにとって、これにより2つの状況が変化する。1つは、獲得選手のお披露目が行われるミラノHotel Galliaでの看板スターは、彼ではなくなる。これは、悪いことではない。それどころか、とても良い方向へ。何故なら、これが2つ目なのだが、爆発していたTifosiの憤懣が、ルイ・コスタの到着で静まり、和らいでしまったのである。ミランのために今だ重要な投資を行ったというその愛のしるしにTifosiは、思わずインザーギをも、受け入れてやってしまったのだった。Rui Costa-Inzaghi-Shevchenko、という攻撃的なTridente、そのアイディアにTifosiは狂喜する・・・


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以上。というか、その前にも後にも話は全然続いてるんだけど、この頃をリアルタイムで追っていたファンには周知のストーリーかもしれないけれど、まだそれほど詳しくカルチョを見ていなかった私には、インザーギやルイ・コスタがHotel Galliaでお披露目した日のことだけは強烈に記憶に残っていて、でもその裏でこんな状態だったということは知らなかったのでした。

ルイ・コスタに、助けられたんだねぇ・・・


ミランのTifosiに大反対されてたインザーギの移籍、そしてBidoneと最低な評価だったピルロ・・・感慨深いものが、あります、ねぇ・・・(笑)


ちなみに、何回も繰り返してるけど、ネスタがミランに来た日のミランのTifosiの盛り上がりはすごかった。ネスタ本人がその歓迎に戸惑ってしまうほどに。
移籍も、いろいろだ。


追記:
で、本ではその後インザーギは、ユーヴェ時代にデル・ピエロとトラブルがあったという苦い経験から学んで、ミランではシェフチェンコと仲良くするようにかなり努めていたと、語られている・・・
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by celeste13zefiro | 2008-04-27 11:15 | MILAN
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