これもちょっと前の記事。
ミランがチャンピョンズ優勝した週の土曜に出たSportWeek、表紙がミランだったから買ったんだけど、中にパルマのジュゼッペ・ロッシのインタビュー記事が。 すでに注目を浴びている選手だから知られている内容かもしれないんだけど、私はおもしろかったので、ここでご紹介。 それに・・・彼はミラニスタでもあるのね、Zefiroで取り上げようと思った理由はそれでもある(笑)。 ************************ 明日のエンポリ戦を最後にCurva Nordへ別れを告げる。Tardini(スタジアム)に、チームメイトたちへ別れを・・・そして、A Casa(ホームへ)? マンチェスターへ? 「僕には準備ができているんだ。SerieAで18試合、9ゴール。僕のやり方に確信が持てる。Unitedに戻ってもいいと思う。トップチームの一員となれるだけでいいんだ。驕っているわけじゃなくてね。」 Teaneckのジュゼッペ・ロッシには、Casa(ホーム・地元)という概念を明確にするのは困難だ。12歳までUSAのCliftonにいた。そこにはFraine(Chieti)出身のパパFernando、Acquaviva(Isernia)出身のマンマCleonildeが住んでいる。彼らはそれぞれにイタリア語、スペイン語の教師: そして17歳までは、ホームといったらパルマだった、それから2年半はマンチェスター。そこで彼はカルチャトーレとして成長し、6ヶ月のGialloblue(パルマ)レンタル生活を終え、戻る地でもある。 最終的な決定はまだ。Manchester Utdは、まだ彼をイタリアへレンタルで置いてくれるかもしれない。 Q: でもAlex Fergusonは言いましたね。 「このRossiはパブリート(Paolo Rossi)よりいい」 これで決まりですね。 Rossi: それは冗談だ・・・もし僕がパオロ・ロッシのやったことの半分も達成できたら、それで充分幸せだ。 Q: しかしあちらへ呼び戻すという方向のようですが。 Rossi: 僕はこの足が運んでくれるところへ行くだろう。まず今は、パルマを残留に導きたい(このインタビューは最終戦の前に行われている。実に、パルマは奇跡のA残留)。でも僕の希望は、最高のレベルのチームでプレイすること。 Q: つまりそれはマンチェスターかミラン、貴方が小さい頃からRossoneroのTifosoだったこともあり。 Rossi: どちらでもいい。Unitedはシーズン中に多くの試合を行うスケジュールを持っている、僕のスペースもそのうちあるだろう。たとえRooneyやRonaldoはアンタッチャブルだったとしても。 Q: あとはRossiで「R」の3トップができあがるのを待つばかり。 Rossi: 今すぐにでも飛んでいきたい。そのポジションがたとえVan der Sarのところだって言われたとしても・・・ Q: マンチェスターで仲が良かったのは誰ですか? Rossi: 僕と同じ年の者たち。ルーニーやクリスティアーノ、フレッチェルとはよくしゃべってた。一緒に映画やいろんな店に行ったり。 Q: Devilsの本拠地、Carringtonのエントランスは心臓を鷲掴みされますね。 Rossi: 中に入ると、その歴史の重さに潰されそうになる。Best、Charlton、それにFergusonとの99年チャンピョンズ優勝の写真など。それを見ると、“たどり着いた”という気持ちにさせられる。Old Traffordも同じく。信じられないほどの雰囲気を持ったスタジアム。聴衆があまりにも大きく覆いかぶさってくるから、その強さに思わずぼんやりしてしまう。 Q: あの地で馴染むのを、一番助けてくれたのは誰ですか? Rossi: Van Nistelrooy(現レアル)、僕のご近所さんだったんだ。公園でよく顔を合わせてた。そして彼は、ピッチでどういう動きをしたらいいか、その狡猾さなんかを教えてくれた。リザーブチームのリーグでは、試合を見て僕にアドヴァイスをしてくれてた。 Q: いつ、どのようにして貴方はサッカーを始められたのですか? Rossi: 4歳で、僕の父はその頃カレッジのチームの監督をしてて、古いUsaリーグのAslでもプレイしていた。父の試合を追って、僕はすぐに夢中になったんだ。そして“彼のせいで”ミランを応援している。毎週日曜夜には一緒TVでダイジェストを見ていたんだ。 僕はCliftonにある5~6つのチームのひとつ、Stallionsでプレイしていた。リーグがオーガナイズされて、そこには大勢の南米選手もいた。僕は2年間New Jerseyのセレクトチームに所属していた。 Q: Cliftonの生活はどのようなもの? Rossi: 僕の両親はそれぞれ16歳でアメリカへ行った。パパは65年、マンマは71年に。あっちの高校で彼らは出会っている。 街は8万人ほど、大きなイタリアのコミュニティがある。でニューヨークから20分ほど。 Q: そこではMade in Usaのスポーツも追っていましたか? Rossi: 学校では、同級生たちを誘ってボール(サッカー)をプレイしようと頑張ったんだけど、彼らはバスケットやフットボールのほうが好きで。僕はベースボールまでやらされた。 Q: そして貴方のお父上がある日Tabianoの広告を発見。パルマの・・・ Rossi: そう、サッカーのサマースクールの。僕は9歳だった。それには3夏参加した。その頃、パルマのスカウトが僕を見て、1リーグの後、僕を獲得した。 Q: ロッシ家は半々に分かれた生活に。 Rossi: パパは最初の年、僕に付いてくるという方を選び、マンマは翌年そうした。一人がそうしてる間、もう一方はCliftonに僕の妹Tinaと一緒に残っていた。彼女はまだ学校へ通っていたから。僕は毎夏そこへ戻っている。 Q: パルマはAllieviカテゴリーで2004年にスクデット獲得。そこへ、マンチェスターのオファーが。 Rossi: Unitedは、最終試合(2-1、そこでロッシは終了間際のFKを決めている)の後にコンタクトしてきた。この話がきたとき僕はものすごく驚いたんだ!2度は考え直さなかったな。 Q: Fergusonとは、どのような関係でしたか? Rossi: 17歳のときに初めて会った。握手する時、手が震えてしまっていた。 偉大な人物だ。彼の経験などで圧迫することがない、穏やかな人。選手たちを大切にする、息子たちのように扱ってくれる。そう、父親のような人。 Q: その頃貴方に何と言っていましたか? Rossi: シンプルなこと:落ち着いてピッチへ行けと。自分ができることをやれ、できる限りシュートしろ、そして楽しんでやれって。 Q: 実に、貴方はすぐに楽しむことができました:18歳でプレミアにデビュー、ゴールを決めた。 Rossi: いいプレイをしなければならないというプレッシャーを感じなかったわけじゃないけれど、でもむこうではTifosiは決してブーイングをしないんだ。信頼を与えてくれ、盛り上げてくれる。覚えてるんだけど、僕はデビューして初めて触れたボールを空振りした。それなのに彼らは僕に拍手をしてくれたんだ。 Q: 他に違いは? Rossi: イタリアのカルチョはよりテクニカルで戦術が多い。イングランドはもっとフィジカルが中心だ。もちろんMourinho、Benitez、Wengerという監督たちは戦術を使い始めているけど。時にはそれがやり過ぎになる。チャンピョンズのChelsea-Liverpool戦のように。 Q: 貴方のアイドルは誰でしたか? Rossi: Gullit、Van Bastenが最高だった:それからWeah、Sheva、いつもミランのボンバーたち。海外では、1999年のマンチェスター戦、ColeとYorkeコンビのTriplettaを覚えてる。あれは本当にファンタスティックだった。 Q: ということは、貴方の中にはすでにマンチェスターが運命付けられていたということですね。 現時点で最も強いアッタッカンテは? Rossi: チェルシーのDrogbaは素晴らしいカンピオナートを見せた。でもクリスティアーノ(Ronaldo)は最優秀選手を受賞している。彼はマンチェスターの優勝に大きく貢献したから。以前はもっとエゴイストだったんだ。今は成長して、彼の得意技は必要なときだけに出すようになった。 しかし、カカ’はもっと強い。幅広く経験を持っている。クリスティアーノもそうなっていくだろう。あと、Ibrahimovic、Messi、Ronaldinhoも追っている。やるべきときにやるべきことができるカンピオーネたち。踵ひとつでボールを放り、魔術のようにゴールを決める。 Q: では、Giuseppe Rossiは、どのような選手? Rossi: 左利き。Seconda punta。ヴァリエーションをつけるのが好き、できるだけボールを掴みたい。 僕が12歳の頃、初めて出会った監督たちの一人が僕をレアルのRaulと比較していた。攻撃であらゆる方向から攻める、決して戦うことを止めない、ゴールをたくさん決める。 Q: TVで見るのが好きなチームは? Rossi: バルセロナ。グランデなチーム、カンピオーネが大勢。時にはレアルも。以前のDel Bosqueのときのようなスペクタクルは見せないけれど。 イングランドでは、アーセナルが楽しい。 Q: パルマではデビュー戦でゴール。18試合に9ゴール、最後には3つのPKを決めています。貴方はまさに冬のメルカートの宝石ですね。 Rossi: Punta(アッタッカンテ)にとってPKは専門職だ、絶対に蹴らなければならない。僕はいつもそれをやってきた。大切なのは、(蹴る時)内面が静かに落ち着いていること。 でも僕は、これでのぼせ上がることはない。Fergusonが言っていたように、僕はまだ「楽しむ」ことができる。そうでなければ、絶対に前へは進めなかったはずだ。
by celeste13zefiro
| 2007-07-02 16:30
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